「お値段以上ニトリ!」で有名な日本最大の家具チェーン「ニトリ」を一代で築いたのが、似鳥昭雄(にとりあきお)さんです。
新型コロナ不況にも負けず、33年連続で増収増益を果たし、34年目の増収増益も確実視されているという絶好調ぶり!
そのニトリの創始者で現在は会長の似鳥昭雄さんが、12月24日に放送されたカンブリア宮殿で、「自分が発達障害であったことに最近気づいた」と発言しました。
今回は、「似鳥昭雄は発達障害で漢字が読めなかった!学歴と学生時代のエピソードも!」と題してお届けします!
似鳥昭雄は発達障害で漢字が読めなかった!
一代で売上6,000億円企業を築いた、と聞くと、まちがいなく天才、商才の塊!というように思いますよね。
ところが、似鳥昭雄さんの小学生時代は、
- 先生の言うことが理解できない
- 1分くらいしか集中して話を聞けなかった
- 勉強はまったくだめ
- 高学年になっても自分の名前を漢字で書けなかった
そうです。
最近になって、テレビ番組で「発達障害」のことを知り、あまりにも自分と似ているのでびっくりした、と語っていました。
#カンブリア宮殿#ニトリ#ニトリ会長
100のうち99の欠点があってもいい
1つの長所を探せばいい
違うことをやってみたら
好きになるかも
うまく出来るかもしれない
だから勉強だけじゃない
違う経験や体験をしてみることが大事
絶対に威張らない✨
様々な状況&障害乗り越え
現在が✨#似鳥昭雄#NITORI pic.twitter.com/oHjRX5j8Z2— ふな (@fstmyt) December 24, 2020
今でも、片付けが大の苦手で、3mの机がすぐに埋まってしまい、作業スペースは1mほどしかないとか。奥様には、「あなたは普通の人ができないことができるけれど、普通の人ができることが苦手」と言われているそうです。
たしかに、昔は発達障害が今ほど知られていませんでしたよね。
黒柳徹子さんも、幼少期は落ち着きがなく問題児扱いされたこともあったと言っていますよね。
発達障害の人は、「異才」の持ち主ということでしょうか。
学歴・経歴と学生時代のエピソード
それでは、似鳥さんの学歴・経歴を見てみましょう。
1944年に樺太で生まれた似鳥さんは3歳で、家族と共に北海道へ引き揚げてきました。
父親は住宅基礎工事会社を経営し、母親はヤミ米屋?をしていたようですが、生活はとても貧しかったそうです。
北海道札幌市内にある公立校の札幌市立白楊小学校へ入学。
先生の話を理解できず、勉強は大の苦手。
高学年になっても自分の名前すら漢字で書けなかったそうです。
小学校卒業後は、札幌市立北栄中学校に進学。
小学校の頃からいじめにあっていたとも語っていますが、母親の手伝いで米配達をしていたことで体力もついたのか、徐々にけんかも強くなっていったとか。
相変わらず、勉強は嫌いで、けんかに明け暮れる悪ガキだったようですね。
学校の成績が悪かった似鳥さんは、受験した高校すべてに不合格という結果に。
最後に受験した北海道工業高等学校(現在は北海道科学大学高校)に補欠合格で入学しましたが、これにはちょっと裏があったとか。同高の学長に似鳥さんの母親が米1俵を贈って、入学可能になったとか。
高校時代はそろばんの成績だけはズバ抜けて良かったそうです。
そろばん=商人というイメージですよね!
他の教科は決して成績が良いわけではなかったものの、無事高校を卒業し、札幌短期大学に進学しました。
その後、北海道学園大学経済学部に編入して卒業しています。
実は、受験した四年制大学はすべて不合格で、札幌短期大学に進学できたのでは「替え玉受験」のおかげなんだそうです。昔はこういう話もよくあったのでしょうかね。
でも、編入試験は決して簡単ではないと思いますので、その頃は能力も開花していたのでしょうか?
大学卒業後は、父親が経営する会社に入社しますが、肉体労働に嫌気がさし退職。
次に就職した広告会社も半年ほどで解雇されてしまい、その後に就職も10社ほど回ったが全部断られて「死のう」と思ったと言っていました。
そんな時に「周囲に家具屋がなかったから」という思いつきが動機となり、ニトリの前身会社を設立。
しかし、28歳の時に参加したアメリカへのツアーがきっかけとなり、「豊かな暮らし」を紹介するような家具店を展開していきました。今から約45年前ですから、当時の日本の暮らしとアメリカの暮らしは相当違ったのでしょうね。
そして、現在は誰もが知っている巨大家具チェーン店へと成長しています。
“経済予測の達人”ニトリ会長が「2021年、世界はデフレに突入する」と考える理由 #似鳥昭雄 #ニトリ #文藝春秋 #文春オンラインhttps://t.co/yjdYKtwDiI
— 文春オンライン (@bunshun_online) December 16, 2020
まとめ
今回は、「似鳥昭雄は発達障害で漢字が読めなかった!学歴と学生時代のエピソードも!」と題してお届けしました。
70歳近くになって、自分が発達障害だったことに気づいた似鳥さん。
今は、発達障害児の「異能・異才」を伸ばす活動にも協力しています。
「若者が夢を見られるようにするのが自分の役目」と言っていました。
今回はここまでとさせていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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