五輪担当大臣の橋本聖子さんが、東京五輪パラリンピック大会組織委員会の会長候補に挙がっているようですね。
森会長の辞任に伴い、大会5か月前での交代も大変ですね。
橋本聖子さんは、元スピードスケートの選手で、オリンピックでメダルも獲得している方なのです!
今回は、「」と題しまして、国会議員になる前の橋本聖子さんの若い頃についてまとめました。
[画像]橋本聖子の若い頃
橋本聖子さんは、1964年10月5日生まれで、現在56歳です。
1995年から政界に進出していますので、元オリンピック選手というより、政治家としての印象が強いのではないでしょうか。
(引用元:サンスポ)
(引用元:毎日新聞)
黒縁メガネは印象的でしたが、とにかく昔からかっこいい方でした。今より眉毛も太いですね。
選手の頃は体脂肪率9%以下だったそうで、なるほど筋肉隆々のゴツゴツした感じですが、笑顔はチャーミングでした。
自転車でオリンピックに出ていた頃だったかと思いますが、橋本聖子さんの太もも周りが62㎝で、女性のウエストサイズと話題になったことを覚えています。
それに比べたら、最近の選手(高木美保選手など)は細いな~と思います。
スケート選手として出場したオリンピック
それでは、次に橋本聖子さんのオリンピック出場歴を見てみましょう。
なんと、夏冬合わせて合計7回も出場しています!そのうち4回が冬のスピードスケートで、3階が夏の自転車です。
12年間も日本のトップの実力を持っていたというだけで、すごいですよね。
1984年 サラエボ冬季オリンピック
1988年 カルガリー冬季オリンピック
1992年 アルベールビル冬季オリンピック
1994年 リレハンメル冬季オリンピック
サラエボでは、スピードスケート女子全種目の4種目に出場し、成績は500m11位、1000m12位、1500m15位、3000m19位でした。
カルガリーでは、スピードスケート女子全種目の5種目に出場し、全ての種目で日本記録を更新の上、入賞を果たしました。(500m5位、1000m5位、1500m6位、3000m7位、5000m6位)この時、24歳でした。
アルベールでは、スピードスケート女子全種目の5種目に出場し、1500mで3位銅メダル!1000mは5位に入賞、500m12位、3000m12位、5000m9位という成績でした。
冬のオリンピックでは、日本女子初のメダル獲得でした。
リレハンメルでは、日本選手団の主将を務め、女子スピードスケートでは500mを除く4種目に出場し、1000m21位、1500m9位、3000m6位、5000m8位、という成績でした。
自転車選手として出場したオリンピック
橋本聖子さんが自転車競技で出場した夏のオリンピックは次の3大会です。
1988年 ソウルオリンピック
1992年 バルセロナオリンピック 女子3000m個人追抜で11位
1996年 アトランタオリンピック 女子3000m個人追抜で12位、女子2万4000mポイントレースで9位
1996年のアトランタオリンピックは、現役の国会議員として参加したというのですから、これまたすごいですね。
アトランタオリンピック後、橋本聖子さんはスポーツ選手としての現役を引退しました。
その理由は、「現役スポーツ選手続行の体力があると自負していたものの、国会議員としてのオリンピック出場が政界とスポーツ界の両方から批判をされたことを理由に「両方の世界を傷つけた」と感じた」からだそうです。
メダルが取れないとしても、世界で9位と12位って、十分素晴らしいですよね。
どうして、「両方の世界を傷つけた」などと言う言葉が出てきたのか不思議で仕方ありません。
国会議員の仕事をしながら、世界で戦えるレベルのスポーツの能力があるって、当時もっとその努力を認める空気があったらよかったなと少し残念です。
まとめ
今回は、「」と題しまして、国会議員になる前の橋本聖子さんの若い頃についてまとめました。
橋本聖子さんは、若い頃からびしっとかっこいいタイプの方でした。
選手引退後、高橋大輔さんとのパワハラキス問題などもありましたので、オリンピック組織委員会の会長として相応しいとは思えませんが、女性、50代という属性は、今そのポストに求められているのでしょう。
今回はここまでとさせていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
Comments