日本トップリーグ連携機構の会長、川淵三郎さん(84歳)が東京五輪パラリンピック大会組織委員会の会長になるようです。
川淵三郎さんは元サッカー選手で、日本代表としてオリンピックにも出場しています。
今回は、「」と題しまして、川淵三郎さんの妻とのエピソードを中心にまとめました。
川淵三郎の妻との馴れ初めや結婚までのエピソード!
川淵三郎さんは、1962年12月に、妻の康子さん(旧姓:淡野)と結婚しています。
2022年には金婚式ですね!
川淵三郎さんが康子さんを初めて見かけたのは、高校卒業後浪人生活を送っていた時だったそうです。
町長選挙の手伝いをしていた川淵三郎さんは、セーラー服姿の女子生徒の中に、長身でひときわ目立つ楚々とした子(当時高校1年生の康子さん)に目を奪われました。ご本人が「心臓をわしづかみにされたような感覚」だったと「私の履歴書」の中でも書いていましたので、ビビビと来たということですね。でもその当時は名前もわからないままだったそうです。
翌年の夏に、帰省していた友人の家に遊びに行き、友人のアルバムを見ていると、なんとそこに彼女を発見!康子さんは、友人のいとこだったのです!
二浪を経て、川淵三郎さんは早稲田大学に進みました。夏休みには必ず帰省して、地元でアルバイトをしていたそうです。そして大学3年生の時に、偶然電車で彼女を見かけました。実に4年ぶりに出会えたのですが、「高嶺の花」としばらくは遠くから見つめていたとか。
夏休みが終わる頃、一大決心をし、声をかけたそうです。彼女のいとこの友人ということで、彼女も安心したのか、仕事の後に会う約束をしました。
しかし彼女は約束の時間に現れず、川渕さんは5分待って「振られた」と思って帰ったそうです。それでもあきらめきれず、東京に戻る前日に、彼女が乗る車両に乗ったら会うことができ、彼女から「先日はすみませんでした」と。
彼女は、「少し遅れていった方が良い」という職場の先輩のアドバイスに従って、15分ほど遅れて行ったら川淵さんがいなかったので、からかわれたと思っていたそうです。
当時は携帯もありませんし、念願のデートならもう少し待てばよかったと思うのですが、川淵さんはややせっかちな性格なのでしょうかね。
その後遠距離恋愛が始まり、自己紹介してから3年後(川淵さんがビビビと来てからは7年後)に結婚されました~。
香港のある小学校から毎年僕の誕生日にカードを送ってきてくれる。その時に必ず写真を同封してきてサインをして送り返しているが見たことのないものが多い。何処で手に入れるのか、この2枚の写真もそう。15〜6年前から連続してカードをくれるのはその小学校の伝統行事にしてくれているのかも知れない。 pic.twitter.com/YdsEPqTPH2
— 川淵三郎(日本トップリーグ連携機構会長) (@jtl_President) November 24, 2020
娘は二人!娘との仲は?
川淵三郎さんと康子さんには、二人の娘さんがいます。
お名前は、純子さんと英子さん。
川淵さんの辞書には「単身赴任」という言葉はないそうで、娘が受験生であろうとも、家族そろって転勤していたそうですよ。
1998年に、日本がマレーシアのジョホールバルで、ワールドカップ出場を決めた試合は、手術後で自宅療養中だったので現地には行っていないそうですが、勝利を「妻と娘と抱き合って喜んだ」と書いていますので、家族の仲は良いようですね。
最近も、娘さんのアドバイスで毎日3000歩を目標に歩いているようです。
去年4月から娘に勧められて毎日30分3000歩散歩するようになった。最初5000歩は楽勝だよと言ったもののいざ歩くと3500歩が精一杯。スマホで歩数を測るのも刺激になる。この10ヶ月で87万歩。最近ゴルフを自重している為歩数を稼げないので目標達成迄3万歩不足。年間達成まであと2ヶ月!頑張らなくちゃ。 pic.twitter.com/8f4shf9ya4
— 川淵三郎(日本トップリーグ連携機構会長) (@jtl_President) February 4, 2021
まとめ
今回は、「」と題しまして、川淵三郎さんの妻とのエピソードを中心にまとめました。
川淵さんの一目惚れから始まり、その憧れの子が友人のいとことわかり、4年後に見かけたところで声をかけたこという、運命的な出会いでした。
それから48年、単身赴任などはせず、ずっと一緒に暮らしてきたようですので、川淵さんが84歳の現在まで元気にご活躍できているのには、奥様の内助の功も大きかったのではないでしょうか。
今回はここまでとさせていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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