南杏子(医師・作家)の出身高校大学と経歴!夫と娘についても!

人物

映画になった「いのちの停車場」の原作者の南杏子(みなみ きょうこ)さんは、現役の医師です。

出産後に医師になるだけでもすごいのですが、医学部は首席で卒業、55歳で作家デビューしたというパワフルな女性です。

今回は「」と題して、南杏子さんについてまとめました。

南杏子の出身地・高校・大学

南杏子の出身地

南杏子さんは、徳島県徳島市の出身です。
南杏子さんという名前はペンネームのようです。

幼少期のことはまだあまり公開されていませんが、中学から高校にかけては兵庫県西宮市に住んでいたようです。

1961年生まれですので、2021年の誕生日で60歳になります。
テレビで拝見しましたが、お若いですね!

高校・大学

南杏子さんの出身高校については、確かな情報がありませんでした。

おそらく兵庫県西宮市近辺の高校に通っていたと思われます。
情報が入りましたら追記させていただきます。

大学は、日本女子大学家政学部被服学科を卒業しました。

その後、社会人になり、結婚出産後、東海大学医学部に学士編入し、首席で卒業しました。

本人は、学士入学(受験科目は論文と面接)でしたので、と謙遜していますが、2歳の子供を抱えてのチャレンジとはパワフルですよね。

経歴

南杏子さんは、日本女子大学を卒業後、なんと2年も就職浪人をしたそうです。
当時の就職事情は厳しかったのでしょうか。。。

それでも、なんとか編集プロダクションでの職を得て、出版社でも勤務しました。

25歳で結婚し、夫の転勤に伴いイギリスへ渡り、イギリスで出産。

イギリス滞在中は、ただ英語学校に行くだけではつまらないと、アロマテラピーの資格を取得しました。

当時はインターネットもなく、貴重な日本語情報源だっという新聞に掲載されていた「医学部学士入学」が南さんの人生を変えることになります。

実は、この記事を先に見つけて南さんに教えてくれたのは、夫だったそうです。

最初から夫の理解があったのは、とても恵まれていますよね。

子育ては、夫と、隣に住む両親にフルに助けてもらったと語っていました。

33歳で東海大学医学部に入学し、38歳で卒業し医師になりました。

東京都内の大学病院老年内科などで勤務した後、スイスへ転居し、スイス医療福祉互助会顧問医などを務めました。

帰国後は、都内の終末期医療専門病院に内科医として勤務する傍ら、55歳で作家デビューしました。

作家になったきっかけは、地域の「カルチャーセンター」での小説教室だったそうです。

小説教室以外にも、様々な武道、陶芸、などカルチャーセンターで色々お試ししているそうですよ!本当にエネルギー溢れる方ですね。

南杏子の夫と娘

南杏子さんは、25歳の時に、夫の覚(さとる)さんと結婚しています。

前述のように、妻のチャレンジに理解がある夫のようです。

娘のお名前は、はるかさん。

2021年5月現在30歳。母と同じ医師の道へ進み、今は研修医とのことです。

「お友達の家に遊びに行ったとき、お母さんがお料理していたことに驚いた」とはるかさんが言うように、南杏子さんの家ではお父さんがお料理するのが日常だったようですね。

まとめ

今回は「」と題して、南杏子さんについてまとめました。

南杏子さんは徳島県徳島市出身。出身高校は不明ですが、大学は日本女子大学、東海大学を卒業されています。

家族はとても理解のある夫と医師の娘です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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